☆聖なるイチヂクの種(دانهی انجیر معابد イラン・ドイツ・フランス 167分)
要するに、心が壊れちゃう、お父さんの話だけど、いやほんと、ラストカットのヒジャブの焚き火の動画がよくわかるだけに悲しい。
ま、そんな抽象的なことはともかく、冒頭、盗聴されてると告げてランチに出るんだが、そこで呑んでるのが2リットルのコカ・コーラ。イランでも家庭の中では喫煙は嫌がられるようで、窓辺で外に排煙することになってるみたいだ。なるほど、世界中がそうなんだあ。
マフサ・アミニの死のあと、独裁者をたおせというスローガンの暴動が鎮圧されていくさまをネットで見たいといい、送ってもらってもフィルターが掛かってるから見られない。そこでVPNで送るという。リアルだな。
予告編も宣伝文句もあらすじの拳銃が何者かに盗まれたとかいって、それがまるで冒頭のような印象をあたえるがこれはちがう。長女の友達が濃度騒ぎで機動隊の散弾銃によって顔の左をふかく傷つけられたことが事件のはじまりで、ここまでで四分の一の尺だからね。この散弾をピンセットで取り出すところは凄い。
けど、この友達は寮にいたところ、服装警察に連行されて行方不明になるんだけど、それを救おうとして、長女が母親に頼む。この母親は高級そうなヒジャブをほっかむりするだけあって、夫の昇進を誇りにし、政府に逆らわないようにすることが家族の幸せだと自覚している。だから長女の頼みをきくことをためらう。
結局、司法に顔の利く、とゆーかそこで働いている友人に友達の娘が行方不明になってるからと消息を探してくれと頼むんだが、あまり深入りすると、夫が革命裁判所の判事になれなくなるかもしれないという友人の忠告に戸惑う。
このあたり、スマホで撮られたような映像がかぶさってくるんだけど、実際のものを第三者が撮ったものか、それとも演出なのかわからない。事実の映像だとすれば、イラン国内の情況はひどい。官憲の暴力沙汰が横行してることになる。この監督がフランスから遠隔で演出して撮ったのはよくわかる。
けど、トランプの攻撃には沈黙してる。
むつかしいな。じつにふしぎだ。既視感。
山本薩夫の『不毛地帯』で、仲代達矢と秋吉久美子の父娘がデモについて言い合いをしているのとまったくおなじ構図が、ここでも父娘の言い合いになってる。けど、イランと高度成長期の日本とはなんとなく似ているが、現在の日本との差が激しすぎる。イランのマスコミは政府のいいなりでその報道を娘たちは嘘といい、父娘の喧嘩になる。日本のマスコミは政府を糾弾してその報道をネットの若者たちは嘘という。気味の悪い構図だな。
けれど、父親の心情は理解されない。観客はわかる。妻もなんとなくわかる。娘たちにはわかってもらえない。夜中、パニック障害にもなるわね。でも、ここで映画はちょうど半分だが、ようやく拳銃が盗まれる。映画の宣伝部がなにも観てない証拠だな。
しかし上手な脚本だな。拳銃が無くなる、長女が消えてる、まさかと観客はおもう、夫婦はふたりして夫が帰ったときのことをおもいだそうとする、前にそう映画の冒頭で護身用に拳銃を渡されたとき、シャワーに入るときに脱いだ服の間に拳銃があり、それを妻が見つけいつもしまう抽斗に入れるときのことはおもいだす、観客もその映像はありありとおもいだす、ところが今回、夫が帰ったときに拳銃はじつはベルトの腰に差してあったのを映像だけは撮られているが観客も夫婦も忘れてる、その拳銃はまるで当然のように無意識で抽斗に入れるが画面から外れて効果音だけで表してる。このとき、観客が怪しむのは長女だが、長女はほんとうに知らないかのように知らないといく、しかし母親は次女には訊かない、うまい。
ここで登場するのが友人で、出世コースからは外れたものの、父親の同僚で尋問の専門家、そう、連行されてるはずの長女の友人を探してくれと頼んだママ友の夫だね。込み入った関係ながらも上手に繋げてる。
それにしても次女はヒジャブの下にGパン履いてるけど、履いていいのかな?イランではチャイを飲むときにガンドという小さめの角砂糖か氷砂糖(サフラン風味のものもある)を口に含んでから飲む。すると、口の中で徐々に砂糖が溶けて、甘い味を楽しめる。ペルシアの伝統的な飲み方だが、故郷に帰ると、父親はそうする。タフトと呼ばれる絨毯席にあぐらをかき、ソフレという敷物をひろげ、円座になって食事もする。
そのとおりにしたのは、故郷に帰ったことで心身の解放感を得た証かもしれない。西洋の文化を享受している子供たちに対する価値観と伝統の共有をさせようというのではなく、帰郷とはそういうものかもしれないという監督のノスタルジーもあるのだろうが、うまい演出だ。